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【私見】インターネットの功罪について

インターネットの功罪

 いわゆる「パソコン」が爆発的に普及して約25年の月日が経過しました。当時の私は「なぜ、Windows95なるものにみんな熱狂しているんだろうか?」と疑問を持っているただの若造でした。パソコンが普及し、インターネットが普及しました。今では考えられないような回線速度で、たかだか写真一枚を表示するのにも数十秒なんていうのも当たり前でした。それが、アナログ回線⇒ISDN⇒ADSL⇒光・・・と回線速度が改善されるにつれて取得できる情報も多くなりました。そして「わからないことがあればインターネットで調べればいい」ということが生活に定着しました。

 先日、友人とドライブがてらこんな話になりました。

「今は、昔と違ってアニメや音楽の価値が下がっている」

昔は現場に行けなかったライブなどに対してとてもとても悔しい思いを持っていました。しかし、現代はなんでも「気軽に手に入りすぎ」です。例えば、テレビで見逃したアニメやバラエティ番組でもネットで検索すれば即時に見ることが出来ます。映画でも昔は1年ほど経過しないとソフトとして販売されていなかったものが、ほんの数か月で手に入るようになりました。

1990年代の音楽業界の勢いをご存知の方たちならわかると思いますが、当時の勢いはとてつもないものでした。小室哲哉やBeing系の楽曲は売れに売れまくりました。「それを手に入れたい!」という欲求を掻き立てるものが多かったような気がします。簡単に手に入らないからこそ、それに価値を感じ、お金が流れていたように思います。

気軽に手に入ることにより「価値は低下する」のです。「昔はバナナは高価なものだったのよ」「昔は砂糖なんか贅沢品でね」ということを小さい頃に聞いていた記憶があります。そして今の時代になり、私は「昔はネットなんてなくて、音楽やアニメ、映画なんかも気軽に手に入るものじゃなかったし、わからないことがあっても誰かに聞かなければいけない時代だったんだよ」と話をするようになりました。今の時代の若者は25年経過した頃、当時を振り返り若者に対して何を語るのかが楽しみです。

インターネットは人類の生活を劇的に変化させた大発明だと私は思っています。人は「便利」を手に入れるために日々日々研究をしています。しかし、それは「本来の人間の能力を低下させるもの」だとも言えます。インターネットは「情報を気軽に手に入れられる」という「功」があるのに対し、自分で記憶しなくてもネットが教えてくれるので「記憶する能力を減退」させ、人が生み出した「芸術や考え方の価値を低下させた」という「罪」があるのではないでしょうか。人が考えるのを止めてしまったら、それは人間ではないのと同じです。正直、もっともっとたくさんの恩恵を受けていますし、もっともっとたくさんのものを失っていると思いますので、あくまでも一例ですね。私は常に人間でいたいと考えながら、こうしてネットの世界を泳いでいます。あなたはどのように考えますか?

——筆者プロフィール——-

勝又 崇 -Takashi Katsumata-
ReBirth代表 千葉県在住 1974年生
[講師経歴]
・某大手専門学校にて「基本情報技術者試験」「日商簿記検定2級」などの各種試験対策を講師として担当する。
・某大手カラオケチェーンへ転職し、現場支配人⇒本部情報システム部⇒レストラン部門売上予算管理を担当する。
・職業訓練事業にて「Word」「Excel」「PowerPoint」のMicrosoft Office Specialist試験対策を担当する。
・ExcelとAccessを連携した簡易集計システムの作成なども行っている。

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