プロフィール


avater

氏名:勝又 崇(カツマタ タカシ)

HN:かっつん♪

1974年生まれ・A型

【プロフィール】※ちょっと長くなりますよ

特に夢もなかった学生時代

 

「ま、普通科でも行けばいいんでしょ??」

 

高校進学を考えたとき、そんな考えしか出てこなかった。

進路相談の時にも、なんの意味もなく「公務員」と書いていた記憶がある。

そんなある日、

たまたま学校に置いてあった「情報処理科」のパンフレットを見つけ、

 

「これからはパソコンの時代だ!」

 

と思い、その学校へ入学を決意するのです。

Windowsが爆発的ヒットになったのが1995年。

それよりも6年も前の出来事である。

 

そして、高校へ入学し、毎朝5:30に起き、2時間かけて通いました。

3年間無遅刻無欠席!!なんと優秀な生徒なんでしょうか。

高校卒業時、まだ、「自分のやりたいこと」がハッキリしておらず、

ひとまず、プログラミングを奥深く勉強するために専門学校へ進学します。

 

そして、専門学校在学中に

 

「この学校の先生になってみないか?」

 

と誘われたのです。

 

中学時代には、生徒会執行部にいたり、応援団長をやったり・・・

高校時代も、文化祭実行委員をやったり・・・

専門学校でも、文化祭実行委員をやったり・・・

正直、めちゃめちゃ頭がいいわけじゃないのですが、

そのあたりの「リーダーシップ」を買われたのだと思います。

 

いろいろと迷いましたが、

 

「先生って誰にでもなれる職業じゃないな」

 

と思い、採用試験を受け、紆余曲折ありながらも

内定をいただくことが出来ました。

そこから、約6年間「講師としての生活」が始まるのです。

 

失敗から始まる講師生活

 

講師の仕事は「学生を資格試験に合格させること」です。

私の担当教科は「情報処理」と「簿記」でした。

普通なら「副担任」から始まり、徐々に・・・という流れだと思うのですが、

右も左もわからぬまま、新卒でありながら「担任」として教壇に立つことに・・・(>_<)

弱冠21歳です。

もちろん、先輩方の助けはありましたが

 

「担任」としての技量はなく・・・

 

合格率 同学科全7クラス中最下位

 

と失敗に終わります。

 

それを評価されてか、担任から教材作成スタッフへ異動。

 

もちろん、縁の下の力持ちとして大切な業務ではあるのですが、

 

「講師としては使い物にならない」

 

という烙印を押されたと思っていました。

しかし、今となっては、

この異動が

 

「冷静に担任業務を見つめ直すことができて良かった」

 

と思っています。

1年ほど教材作成スタッフとして勤務し、人員不足もあり、担任へ復帰します。

周りの先輩たちは、心配していましたが、どうにか期待に応えることができたと思っています。

 

この「再スタート」により、徐々に講師としての階段を上っていくのです。

 

講師として実績を残す

 

私が担当していた学科は、そこそこ厳しかった。

学校というイメージは、

 

15:00くらいに終わって、そこから遊び~♪

 

じゃないでしょうか?

でも、うちの学科は、

 

『 9:30~18:00まで、みっちり勉強 』

 

なんです。

正直、学生時代で遊べる時期なのに、

18:00まで拘束される学科を選べる子って

やっぱり「目的意識」が高いんですよね。

 

自分も担任として成長していたので、

自分(担任)との波長が合えば、

どんどんプラスに事が運ぶ。

 

最初のクラスでは、私の技量がなかったために

 

満足する結果を出してあげられなかった

 

と今でも後悔しています。

しかし、その失敗を繰り返さぬようにと

 

自分なりに努力し、最終的には

 

合格率第1位!!

 

を獲得するまでに♪

 

教え子たちには、本当に感謝しています。

 

そして、元々、

 

「勤め人で終わる気はない!」

 

と思っていた私は、

28歳の時、転職を決断します。

 

転職・・・そして、また失敗(1)

 

学校へ退職の意を伝えるも、引き留められます。

授業が終わった16:00から23:30位まで

部長(校長と同じ立ち位置)に拘束され、

 

「転職してもいいことないぞ~」

「こんなにいい環境、見当たらないぞ。後悔するぞ。」
とずっと説得されました。
講師としての仕事は好きでしたし、

仕事の仲間も大好きでした。
でも、

 

「勤め人で終わる気はない!」

 

と思っていた私は、それを捨ててまで、

 

「転職」という選択を貫いたのです。

実家は「牛乳宅配業」を営んでいます。

いわゆる「自営業」です。

だから、サラリーマンというイメージが

子供のころからないため、

こんな思いがあったのだと思います。

さて、転職を考えたとき、

 

転職の基準は

「商売を勉強する」

でした。

 

講師は「金勘定」をしません。

 

なので、「金勘定」を勉強しようと思いました。

リクナビを見ながら飲食業を探していると

某大手カラオケチェーンの支配人候補求人を発見!!!

カラオケも大好きな私は、なんとなく応募。

 

面接時に、その場で内定を頂くという

なんとも有難い話に運命を感じ、即決定したのでした。

 

転職・・・そして、また失敗(2)

 

アナタのイメージとして、講師も、支配人(店長)も1年以上の

研修期間があってなれるものだと思いませんか?

 

私もそう思っていました。講師は、いきなり正担任でした。

今回は違うと思っていたら、3ヶ月の研修期間を終え、

いきなり支配人に・・・

 

おいおい!まぢかよ!!!ここもかっ!!

 

しかし、そこはサラリーマンです。

会社の決定には従います(>_<)

朝から晩まで働いて・・・

という言葉は聞いた事があると思いますが、

 

朝から朝まで働いて!

 

な毎日でした(T_T)

カラオケ屋さんって、夜が主体ですからね。

ま、仕方ないことです。

 

年間休日も50日程度だったんじゃないかなぁ~

週に1回の休みはありましたよ。

ただ、連休を取ったことはありませんでしたね。

 

ここで「負のスパイラル」に入ります。

 

頑張ったってどうせ休めないんだし・・・

ある程度、頑張ればいいか・・・

 

そんな気持ちじゃ、間違いなく「失敗」しますよね。

 

売上とかも伸ばすことが出来ず・・・(>_<)

2年経過したころ、

 

こんな生活続けてられないな。転職するか・・・

 

と思い始めていました。

 

捨てる神?あれば、拾う神アリ?

 

私は、店長時代に「売上」こそ造ることはことはできませんでした。

しかし、ITスキルを活かし、店舗独自に作成するポスターや

当時、まだ社内で主流ではなかったメールでの情報伝達を始めたり、

そういう部分での爪あとは残していました。

そして、転職を考えていたそんな時期に、こんな声がかかります。

 

「情報システム部へ異動しないか?」

 

人員不足のため、現場経験もあり、ITスキルもある人間はいないか?

と上司は相談を持ちかけられていたようで、そこに私の名前が挙がったとのこと。

 

社内転職なんて願ったり叶ったり!!!

 

と即決しました。

捨てられたわけではないですけど、適材適所で考えれば、

会社としても、私個人としても最善の選択だったと思います。

そこから、2年強システム部へ在籍しました。

全国300ほどある店舗のシステムを運用管理する部署でした。

休日も倍以上になりました。

店舗では、スタッフがいなければ、店長本人が補填しなければならない。

となると、単純に休日返上となり・・・が当たり前でした。

しかし、そんな心配をする必要のない本部では、きちんとサラリーマンとしての

休日をもらうことが出来るのです。

 

確かに「楽(ラク)」にはなりました。

楽(ラク)にはなりましたが、

けして「楽しい」とは

思えませんでした。

 

そんなこんなで、2年ほどの月日が流れたころ・・・。

「仕事へのやりがい」がなくなり、転職を願い出たところ、

 

この会社は大きい。転職なんて言わず、部署異動させてやる。

 

と部長の一言をいただいた。

 

自分がテキトーな仕事をしていたら、

こんなことを言ってはもらえなかったハズ。

自分の仕事は、キチンと評価されていたんだなと実感しました。

 

そして、レストラン部門にて「予算管理」「人事」「総務」などの

何でも屋へと変身した。

 

特に役職は付いていなかったが、社長が出席するような会議にも参加するようになり、

会社とは、どのように動いているのかを一通り勉強することが出来た。

・店舗

・システム

・予算管理

・社長会議

たった7年弱ではあったが、これだけの業務をひとつの会社で経験できる人間は、

なかなか少ないのではないかなと思う。

 

そして、勉強は済んだ!と思い、実家を継ぐために

退職しようと思っていたら、いつの間にか

兄が実家を継いでいた。

 

自分は地元に帰る気はないから、やりたければやればいい。

 

兄がそう言ったから、商売の勉強をしたのに、

いつの間にか継いでいる・・・

そこから、私の迷走が始まるのです。

 

新しい目標ってなんなの???

 

実家を継ぐつもりだった私は、あらたな目標を立てる必要がありました。

ただ、やりたい商売なんていうのは「お金」がかかるものばかり・・・

 

そうだ!人生一度きりジャン!

 

と思い「声優を目指そう!」と考えます。

カラオケとか、そういう「表現」することが

好きな私は、やってみたい「声優」を目指したのです。

ひとまず、目標も出来たし、辞めるか~と

気楽な気持ちで退職(2009年12月)し、派遣社員として働きながら、

週1回の専門学校に通うのです。

が、しかし!

 

楽しくない・・・

 

なんか空虚感・・・

 

「声優になりたい!!!」

 

だけで、

 

「声優になるぞ!!!!」

 

という覚悟のない私はその程度でだったのです(>_<)

結局、ぐだぐだ・・・

そんな時に、専門学校時代の同僚から電話がかかってきます。

独立して会社やってるけど、職業訓練事業を始めるから講師を頼みたいとのことでした。

少し悩みましたが、特にやりたいことのない私は「名古屋」へ転居するのです。

なぜ、名古屋なのかというと、講師時代3年間名古屋で勤務していたのですが、

その時の同僚が独立したのです。

 

なので、名古屋へは再上陸となりました。

そこから、職業訓練事業に携わります。

教科は「Excel」「Word」「PowerPoint」「簿記3級」を担当しました。

大人になってからの勉強は、ほとんどの人が必死です。

 

学生時代の忘れ物を取りにきているんだなぁ~

 

と思いました。

資格試験を受験された方は、全員合格!となり、

そんな3ヶ月の訓練を5クールやりました。

よく受講生から言われたのは、

 

「先生は、何度質問しても、何度でも答えてくれる」

「先生の説明は、とてもわかりやすい」

 

という有難い言葉ばかりでした。

そんなこんなで時は流れ・・・

2012年3月、帰省した際に母よりこう言われました。

 

「お父さんは、そこまで長くない・・・」

 

父との時間

 

2008年夏、父は「胃がん」と診断され、手術をしました。

手術は成功し、1ヶ月もすると、元通りに食べられるようになり、

「本当に病気したの?」なんて言うほどでした。

 

しかし、ガン細胞は完全に除去されておらず、再発したのです。

まだ、名古屋での今後を検討していた時期ではありましたが、

それを捨て、2012年6月、千葉の実家に戻りました。

7月中旬くらいまでは、ちょっと歩みは遅くても

普通に出かけることが出来ていました。

 

私は、仕事をしていませんでしたので、一緒に出かけていました。

海を見に行ったり、

ラーメンを食べに行ったり、

銚子の灯台に行ったり・・・

しかし、7月中旬くらいから身体が思うように動かなくなり、入院をすることになりました。

 

正直、3月時点では、本当に元気だったので、

「長くない」という言葉を信じていませんでした。

 

しかし、それが現実になろうとしていました・・・

 

入院しても、会話にまったく問題ありませんでした。

たまに薬で意識がもうろうとしている時はありましたが、

それ以外は問題ありませんでした。

 

なので、父と過ごす時間は、

とても楽しく、将来の相談などをしながら、

人生について語っていました。

 

だから、涙を流すことなんて一度もありませんでした。

しかし、ある日、私は父の寝顔を見て、何故か涙が溢れてきていました。

 

そう、私は泣いていたのです・・・

 

父の最期

 

その日、父は

「カキ氷が食べたい」

と言いました。

私は、売店でカキ氷を買い、カキ氷を父の口へと運びました。

父は、

「うん、うまい・・・」

と、ちょっとか細い声で言ってくれました。

 

三口ほど食べた後、

「ちょっと、寝るわ・・・」

と言い、父は寝ました。

その寝ている顔を見たとき、

私は、涙を流したのです。

 

今まで一度も泣いたことがなかったのに・・・

 

少し気持ちが落ち着いてから、

「また、来るね」

と伝え、

「あぁ」

と父は一言だけ言い、また眠りました。

 

それが、父との最後の会話でした。

 

入れ替わりで、母が病院へ行き、

18:00頃に帰ってきました。

 

母が

「今日は、病院に泊まるから」

と、準備をしていたとき、

 

病院から母に電話がかかってきました。

 

「お父さんの心臓が止まったって・・・」

 

 

父の背中

 

父は、若い頃はフラフラしていたそうです。

自衛隊にいたり、自動車整備工をしたり・・・

フラフラしている訳にもいかなくなった30代前半、

実家に戻り、母と見合い結婚をしたそうです。

しかし、自動車整備工をやめ、どうしようか考えていたとき、

 

「牛乳宅配店の権利を買って欲しい人がいるんだけど」

 

と声がかかったそうです。

資本金を工面し、その権利を買いました。

家族という守る物を持った父は、

必死に働きました。

最盛期には、年商1億円を超えていたそうです。

1本80円程度の牛乳などの飲料を、年間1億円も売っていたのです。

その売上は、父だけでなく、母や周りの協力もあり達成したのだと思います。

病床で父と話をしていたとき、

 

「なんで、そこまで売り上げる事が出来たと思う?」

 

と質問したとき、父はこう言いました。

 

「売上げを作ろうと思って仕事はしていなかったな。

ただ、もらった仕事は懸命やった。

懸命にやっていたら、次の仕事をくれた。

それだけのことだよ。」

 

父の言葉で特に印象に残っています。

テレビドラマでは、最期、こん睡状態になり、

泣き叫びながらその人の名前を呼び、

「ご臨終です」という展開がベタです。

 

でも、父は、家族が誰もいない時に、

息を引き取りました。

 

きっと、サヨナラを言うのが照れくさかったんでしょうね。

 

私たちが病院へ到着したとき、呼吸をしていない

父がベッドに寝ていました。

 

2012年8月29日、父は旅立ちました。
享年72(歳)
今の時代では、ちょっと早い死だったのかな??

 

ネットビジネスとの出会い

 

実家に、ポッカリとできた大きな穴。

兄弟二人とも結婚していないため、物理的にも

実家には大きな穴ができました。

 

私は、そのまま実家に住むことを選択しました。

さすがに、母を置いてはいけないと思ったのです。

何が出来るわけではないけど、ただ、いるだけでもいいのかな・・・って。

 

仕事を探さなければなりませんでしたが、

田舎に満足な条件の会社などはなく・・・

都会との格差を実感しました。

 

0よりは1なので、それなりの金額で派遣社員として

働きはじめました。

 

実家を離れるわけにもいかない。

給料は納得できるものではない。

 

どうしたらいいのか・・・

 

そんなこんなで時は流れ、2013年4月

以前、派遣で一緒に働いていた友人から、

facebookで声をかけられます。

 

「ネットビジネスに興味ないですか?」

 

ネットビジネスで失敗したいなら

 

彼とは、以前、あるコールセンター事業にて知り合った

8個下?くらいの友人です。

当時、私がfacebookで「名言」などを毎朝投稿していたので、

それを気に入ってくれていて連絡をくれました。

彼と久々に会い、酒を飲みながら様々な話をしました。

そして、私は決意します。

 

ネットビジネスで成功するぞ!!!

 

彼のオススメである「LUREA」と「SIRIUS」を購入し、

さっそく始めていきます。

 

無料ブログをつくり、わずか10日間足らずで初報酬です。

 

57円

 

これが、めちゃめちゃ嬉しかった~♪

「57円しか」と考えるか、

「57円も」と考えるか・・・

私にとっては「57円も!」だったのです。

 

単純に考えてください。

1ブログで57円なら、

10ブログあったら570円、

100ブログあったら5,700円

を稼げる計算になるのです。
し・か・し・・・

 

 

モチベーションが保てず・・・

 

 

 

3ヶ月程度で幽霊部員に・・・

 

一緒に始めましょう!と言ってくれた友人とも

連絡を取らなくなり・・・

 

私は、本当に甘い考えの男です(>_<)

ネットビジネスで失敗したいなら、

 

途中であきらめること

 

を実践すればいいですよ♪

ここで、勘違いしてほしくないことがあります。

 

私が稼げなかったのは、

LUREA

SIRIUS

のせいではないということです。

 

二つとも、とてもよく考えられている教材とツールです。

正しくモチベーションを保ち、作業を継続してやれば、

間違いなく稼げます!!

 

結局、どんなに良い知識をもらっても、

その知識を生かすも殺すもその人次第ってことです。

私は、真剣にアフィリエイトをやらなかったのですが、

けして「あきらめてはいなかった」のです。

その後も、細々とアフィリエイトをやり続けています。

現在は、フォローマティックXYを購入し、

Twitterアフィリエイトを細々とやっています。

ネットビジネスって、やめるにやめられないんですよね。

だって、

 

ネットビジネスは正しくやれば成功する!!

 

ことは間違いないですから。

 

 

私のこれからの目標(2015年4月20日)

 

日本は「少子化」が問題視されています。

私も独身ですから、その問題の一端を担っているわけですが・・・(T_T)

私が結婚しない理由は、

 

「収入に余裕がない」

 

が一番の理由です。

 

私は、基本「共働きに反対」です。

「女は家庭を守ればいいんだっ!」というわけじゃなく、

どちらかは家庭を守り、

学校などから子供が帰ってくる時、

出迎えてあげることが大切だと思うからです。

 

ただ、現実はそうじゃない・・・

 

ほとんどの家庭が共働きをして、

子供に寂しい思いをさせながら

育てています。

 

私は、そのような現状をネットビジネスで打開したいのです!!!

 

アベノミクスで株価が上昇してきました。

しかし、企業としては、まだまだ従業員の給料へ

還元できるほど、体力を回復しているとは思えません。

それを待ちますか??

 

待てませんよね??

 

それならば、


 

自分から取りにいきましょうよっ!!!

 

そりゃ、時給をもらって仕事をするほうが、

簡単にお金は手に入ります。

でも、それって「時間」をたくさん失っていませんか???

ネットビジネスなら何時~何時という縛りもなく、

自分自身の都合の良いときに仕事が出来るのです。

ただ、もちろん稼ぐためには苦労はあります。

しかし、それを超えるだけの収入は手に入るハズです。
ここで、私が好きな漫画「はじめの一歩」の名言をお伝えします。
*************************************************

 

努力した者が全て報われるとは限らん。

しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる!!

 

*************************************************

 

まずは、私がしっかりと実績を出します!!
そして、その成功事例をアナタにお伝えします。
皆で、余裕を持った生活を送りましょう!!!!

 


ページ上部へ戻る ライブでゴーゴー